情熱には「ゆらぎ」がある
情熱は常に燃えているものでなく、元気がない時には損なわれるもの。人間としての営み、その
- やる気
- 動機
- モチベーション
の根源、言わば生きるエネルギー源が情熱。その情熱は、疲れている時、元気でないと情熱も枯れるものであり、情熱って元気じゃないと感じられないもの、元気と情熱には相関があるということを以前コラムでもお伝えしました。

誰でも再現可能な成功法則のパッケージ、ウェルスダイナミクス。その理論の中核をなすフレームワーク、内的価値の土台となるのが情熱です。
でもその下にもっと大きな、基本的な要素がある。健康ですね。そう、健康が安定していないとその上に位置する情熱が揺らぐんですよね。自分のエネルギー、元気さによって情熱にゆらぎが生じる。これを認識すると人によっては価値観が変わるかもしれません。
…と、前置きが長くなりましたが、ここ私は1週間ほど病床に伏せていました。ホンッとなんにも成せなかった人生においての空白の1週間。なんか意識がぼんやりしていて、何にもやる気が起きないし体も動かせない。無気力なワケです。
普段情熱を注いでいるものも、やろうとしてもその一歩が重い、(そもそも情熱はやろうと頑張るものじゃなくて、やらずにいられない、いてもたってもいられないもの)できたとしても楽しさの感度が低い。こう書きながら…
こうやってやるべき事をやる、
なんかしているほうが精神的に満たされるな、と思うんですが、それがどうにもなにもできない。以前であればこの余白による損失に深い落ち込みを感じたものです。自分のふがいなさみたいな。でもまあ、やっぱり風邪引いた状態でハイパフォーマンス発揮するのなんてムリです。
だから、そんな状態でもなにかやるべき事を進めようとするのでなく、ひとえに回復に努める(かかった病院の先生曰く「安静が一番の薬」)。それが結果早い復帰、リカバリに繋がる。情熱は自分の体調次第でゆらぎ、カンタンに失われるものです。
偉人の伝記などで、病床に伏せてもなおその偉業に関わる努力を続けたようなストーリーを見聞きしたような気がしますが、あれはまさに死期を悟っての自分の命の最後の炎を燃やす、そんな特殊な状況において起きた奇跡に他ならないと思います(以前の私はそれができると思っていました。)。
普段付き合いのカジュアルな情熱は波があります。
体調を崩して情熱が失われる。ああ、私の情熱ってこんなもんなの?と失望しないで。そういうもんです。そして元気になればまた戻ってくる。情熱はあなたを裏切らない。