それは相手に対する「敬意」です。相手の立場、役割を尊重する。もっとくだくと相手を自分と同じく大切な存在と思うこと。これは人間関係、コミュニケーションにおいて何より先立つものだと思ってます。
先日「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」というドキュメンタリーを観ました。思想の対極にある右、三島由紀夫vs左、全共闘という構図。水と油の極みであり、それは交わらない…どころでもなくお互いの存在を打ち消し合う、もっと言うと殺し合う、といっても過言ではない間柄です。
そんな関係の双方が 交わる時が来ました。全共闘が三島に直接対決を申し込んだんです。そして三島は全共闘1,000人が待ち受ける東大駒場キャンパスに単身、決闘の精神で乗り込む…ヒリつく緊張感、そこで起こった事は…笑い、ユーモア、そして熱い討論。これは不思議な空間でした。
これ、始まる前は三島由紀夫を屈服させて壇上で切腹させよう!
って会だったんですよ。バチバチやり合っているけど、しっかり受け止め、ていねいに応える。全共闘側の方が当時を振り返り、語り口がていねい、乱暴な言い方はゼンゼンしていないそれが驚きであった、と。
これは論破でなく対話でした。「一言も自分の相手に対して困らせてやろう…とか、追い詰めてやろう…とか、絶句させてやろう…とか、論理矛盾の指摘…だとか、一回もしてないんですよ、本当にこれはやっぱり大したモンだと思いますね。」作中のコメントより。
意見の違いはともあれ、双方にリスペクトがあり、オープンマインド、オープンエンド(余地を残す)、相手を敵としてみるのではなく、自分と相手を客観的に見て考え方を解きほぐしていく。最終的に対極の思想、立場であっても共闘できるかもしれない、(これレバレッジに必要な考え方なんだよな…)考え方は違くとも、本質的な理想は同じ(これ水ですよ)なのではないか、右も左も無いのではないか、と。
(高度な対話で抽象度が上がった末に至る)論破は自分の意見、価値観を押し通す。論破は思考を一方向に押しやる。(ダイナモやりがち、そこらへん強いですからね)これはなにも生まない…いや、生まれるか、偏見が。相手を尊重する。打ち解ける、立場の違い、考え方を分かち合うこと。
「敬意を表し合うってことも、会話の一つですよ」
これが人間関係において9割を占める。ウェルスダイナミクスは人間関係が9割(なにせレバレッジがテーマなので)。知識よりも、技術よりも大切なこと。ウェルスダイナミクスにおいて「敬意」はキーワードなのかもしれません。
あ、あと…ブレイズの方は親しみやすさと無礼さをはき違えないように注意!けっこうここって紙一重ですが、分けるのはやはり敬意。